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24年勤めたリクルートを辞め、Kaizen Platformへ。中3のときに感じた「良いものは変化していく」ということ

Kaizenメンバーにこれまでのキャリアについて聞く「 #Kaizenリレーインタビュー 」。現在Kaizenで働くメンバーは、これまでなにに夢中になり、どんな経験をしてきたのでしょう。インタビューを受けた人は、次の人を指名してバトンをつなぎます!

今日ご紹介する村上明英さん(愛称、muraさん)は、Kaizen Platform ソリューション事業部のゼネラルマネージャーとして活躍しています。

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不動産、金融、小売、EC……さまざまな企業に出向き、お客さまのサイトや広告をデジタルの力で新しい時代に対応していけるよう改善策を提案するのがmuraさんのお仕事。

お客さまとより早く信頼関係を結ぶ営業センスは社内で「神!」と呼ばれるほどです。

話好きで親しみやすく、社内の盛り上げ隊長として今やKaizenにとってなくてはならない存在ですが、2014年にジョインするまでは新卒で入社したリクルートに24年間勤め、営業や「ゼクシィ」「じゃらん」などの情報誌のマーケティングを担当していました。

そんなmuraさんに、新卒時代から出版マーケティングに携わっていたときのこと、そしてKaizenで働く現在について聞きました!

世間の風当たりの強さを感じた、リクルート入社一年目

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──muraさんは新卒でリクルートに入社したんですよね。

そう、1990年に大学を卒業してリクルートに入りました。「リクルート事件」の直後で、当時は逆風しか吹いていなくて。そこに就職すると言ったら、父親と初めてサシで飲むことになりました(笑)。

猛反対されると思ってたら、たまたまテレビで、リクルートの役員が田原総一郎さんに騒動についてゲキ詰めされながらも負けじと反論しているのを観たようで。「こんな若いやつが、田原相手に堂々と意見するなんてすごい会社だ!」と、入社を認めてくれたんです。

晴れて社会人になったんですけれど、まだリクルートへの世間の風当たりは強くてね。彼女には別れられるし、名刺は渡すそばから破られるし、居酒屋なんかでも、社員だとバレるとからまれるから、社名の入った紙袋を隠して飲んでました。そんな一年目でした。

プロダクトを変えず、営業の力で価値を変えていくおもしろさに気づいた

──リクルートではどんな仕事をしていたんでしょうか。

最初は「人材開発部」という新卒採用の部署に配属になりました。それからバブルが弾けて採用はストップし、業績回復のため新規事業をどんどん増やす動きになったんです。

そこで出したのが大量の情報誌です。出版流通部門のマーケティング局へ異動になり、マーケティングをイチから勉強してプロモーションの企画を考えたり、テレビCMをつくったり、印刷部数を決めたりとなんでもやりました。

「住宅情報タウンズ(現:SUUMOマガジン)」「じゃらん」「ゼクシィ」「ケイコとマナブ」「フロム・エー」「hotpepper」「タウンワーク」「R25」……創刊した数は100冊以上、種類でいうと20種類くらいです。

──マーケティングの仕事で、どんなところがおもしろいと思いましたか?

僕は営業の責任者として、書店さんやコンビニエンスストアさんに協力してもらえるよう説得する営業活動を長くやっていたんですが、フリーペーパーってタダなので置く店にとっての売り上げは0円なんです。そういうものを自分のお店に置きたくなるにはどうしたらいいか? 99%断られるお願いをどう聞いてもらうか、そんな仕事をたくさん経験できたので、学びは大きかったですね。

「そんなものは売れない」と言われていた企画がヒットしたり、フリーペーパーを心底敵視していた書店業界から「あのフリーペーパーで紹介されると売れるんだ! 20部だけでもいいからうちに置かせてくれ!」と連絡が入ったり。誰もが無理だ、無謀だと言ったことでも、価値の見せ方や、どう関係性をつくるかによって真逆の結果になることをいくつも経験して、それがすごくおもしろかったです。

デジタルもリアルも同じ。良いものはユーザーが選んでいく

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──その後、オンライン広告事業に携わっていたと聞きました。須藤さん(Kaizen Platform CEO)もリクルートでWebの事業開発をされていましたね。

そうなんです。須藤がリクルート時代、『C-TEAM』というサービスを立ち上げたんです。バナーを100種類つくって配信し、比較して一番CTRの高いバナーを見つけだすというサービスで。僕はまだ当時デジタルのことはほとんど分からなかったけど、それを初めて聞いたとき「これは絶対に効果がある!」と直感しました。

なぜかというと、それまで毎日書店のPOSデータとにらめっこしていて、同じ雑誌でも特集や表紙次第で、売れるもの・売れないものの差が3倍くらい生じるのを実感していたんです。それと同じで、バナーが100種類あったらクリック数に2〜3倍の差が出ることは当たり前だろうと。

須藤が立ち上げたサービス自体もおもしろいと思いましたし、僕が今までやっていたリアルの世界と、「ユーザーの力で良いものを選ぶ」というベースの部分ではまったく同じなんだと気づき、どんどんデジタルの世界にのめり込んでいきました。

「いつカイゼンに来るんですか?」須藤から突然の連絡

──Kaizen Platformには、どのタイミングで入社したのでしょうか?

Kaizen Platformが設立されて1年経ったころ、突然須藤からFacebookで「村上さんはいつカイゼンに来るんですか?」と連絡が来たんです。最初は冗談かと思いましたよ(笑)。

Kaizen Platformが事業としてやっている、サイトや広告を改善するのって本当に難しいんです。課題抽出から分析、そして改善から検証までのサイクルを繰り返し続ける必要があるので、要素が複雑で、すごく難しい。コンバージョン数がうまく伸びない場合、「いやっこれはお客さまの商品力の問題で……」とかなんとでも言い訳したくなっちゃうところですよね。CV数のKPIへの取り組みから逃げているITベンダーは多かったと思います。

でも、実現できたら大きいし、需要も絶対ある。そこにいるのはわかってるのに、みんなが見て見ぬふりをしている大きな敵と戦う須藤憲司がかっこよく思えたんです。「こいつ本当にすごいことをやっているな」って。そのスタンスが刺激的で、入社を決めました。

中3のときに感じた、世の中は「変化するもの」だということ

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──リクルートに入社し、新規事業に次々携わり、そして設立1年半のKaizen Platformに転職。目まぐるしいですが、muraさん自体はどの時代を切り取ってもとても楽しんでいるように思えます。

やりたいと思っていることはずっと同じなんです。

僕は、愛知県の小さな食品問屋の家系なんですよ。食品問屋っていうのは、大きな市場からまとめて仕入れた食品を地元の商店街などにある八百屋や小さなスーパーに卸すんですが、イトーヨーカドーやイオンなどの大型スーパーができてから、うちのお客さんのお店はどんどん潰れていったんです。

僕は長男なので、子どものころは父の仕事を継ぐ気満々でした。継ぐものだと当たり前に思っていて、食品業界で生きていくと思っていたんです。

──継がないと決めたのは何歳のときですか?

父から継ぐなと言われたのは、僕が中学3年のときでした。「お前は勉強して大学に行ってサラリーマンになれ」って。僕が大人になるときはもうこの仕事はなくなる、そういう流れを感じていたんでしょうね。

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当時繁盛した大型スーパーも、今はネットスーパーに少しずつ追いやられています。常に新しいなにかが生まれ、良いものがどんどん追い越していく。

Kaizen Platformにはいろんな業界のお客さまがいるんですが、すべての業界に言えるのが、「ずっと同じではいられない」ということ。そのなかでどう良いものに変えていくかを考えるのがビジネスにおいての健全な努力の仕方だなって、中3のときに感じたことが今でもずっと心の中にあります。

──それが今、Kaizen Platformでお客さんに提案していることでもあるんですね。

はい。今後、さらにリアル空間のデジタル化は加速していきます。世の中が急速に変わるなかで価値が下がってしまう企業も、かわいそうな思いをする人も出てくるかもしれない。その前になにができるか、Kaizen Platformが提供できるさまざまなサービスを、お客さまとうまく活用して、どうチャンスに変えていくかを考えるのが僕たちの仕事です。

一緒にできることを頑張れればいいなと。今、Kaizen Platformの営業がすごく楽しいんですよ。これからの5年がさらにおもしろくなると思って、僕はワクワクしています。



Q.このリレーインタビュー、次は誰にどんな話を聞きたいですか?

muraさん「KAIZEN Adの期待のルーキー、松田真穂さんを2番バッターに推薦します! 僕は『諸行無常』っていう言葉が好きで、常に自分の頭の中にあるんです。自分はこれがキャリアのベースになっているのだけど、彼女は彼女でなにかベースがあるはず。それを聞いてみたいですね」


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